禅道会の流派名

禅道会の‘禅’とは、東洋文化に古くからある坐禅の事が思い浮かびます。
坐禅は普段私生活で外界の情報へと向きがちな意識を鎮めるために、外界の情報を一度遮断し自らの内側にある無意識と向きあうことで自己を省みる為の大切な修行の一つとして親しまれてきました。

禅道会の稽古体系には坐禅で得られる効果と同じような効果が含まれていて、特にもっとも重要とされているのが『基本・移動稽古』です。
対象物のない空突き空蹴りを何十、何百と定められた順にリズムに合わせて、繰り返し反復することで、やがて今現在自分が出している技にのみ集中することができるようになります。

そうすることで技だけでなく、自分自身の立ち居、振る舞いや心の部分さえも見つめることができるようになります。
そうして稽古を継続していく中で、武道として大切な「心・技・体」を体現できるようになり、社会生活への対応力も身についていくのです。

そのため禅道会では『基本・移動稽古』によってもたらされる効果を『動禅』と呼び、自己を省みる最も重要な稽古と位置づけ子供から大人、また白帯から黒帯まで必ず行うようにしています。
この従来の基本を基に確立された稽古体系こそが『禅道会』という流派名の由来なのです。

また、その安全で優れた稽古体系は皇族の東久邇宮さまより‘大衆ノーベル賞’とも言われる東久邇宮(ひがしくにのみや)記念賞を受賞したほどの功績も残しています。
さらに近年では教育関係者やメディアなどからも高い評価を得ています。

道場訓

一つ、我々は、武の修業を通じ、自然体の精神を涵養すること

一つ、我々は、長上を敬し、一切衆生を尊重すること

一つ、我々は、平和和合の志を重んじ、無なる闘争を行わざること

一つ、我々は、身心を錬磨し、文武両道を重んずること

一つ、我々は、拳禅一如を武道とし、生涯修業の道を全うすること

涵養(かんよう)
しっかりした正義の心、かたい道徳心
拳禅一如(けんぜんいちにょ)
肉体を鍛えると同時に精神も修養すること
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