フルコンタクトKARATEマガジン vol.25 2018年4月号

INTERVIEW
未来を担う青少年の教育のためフルコンタクト文化を失うな!

未来を担う青少年の教育のためフルコンタクト文化を失うな!

「我々は東京五輪を他山の石として、自らの存在を確認する時期に来た」と語る“格闘技界の智の巨人”小沢隆・禅道会代表が五輪に対する自らの思いを語った。
※補足動画 https://karate7.com

――2020年、東京オリンピックに空手種目が決定しました。多くの人が夢の実現のために尽力し、決まった瞬間、空手界は歓喜に包まれました。非常に喜ばしいことですね。

そのこと自体は素晴らしいことです。しかし、フルコンタクト空手界が諸手を挙げて、迎合していくような考えは危険だと思います。

――小沢代表はオリンピック参加に否定的な意見をお持ちなのですか?

あくまでも私の私見となりますが、オリンピックを意識するあまり、フルコンタクト空手が自ら歩んできた道程やそこで育まれた文化や技術、武道性を捨ててまで、オリンピックに迎合する動きがあるのなら、それは憂慮しなくてはならない事態だと思います。

――よく分からないのですが、小沢代表が考える文化や武道性とは?

空手は新しい武道であり、特に競技ルールは試行錯誤を繰り返しながら現在の形に落ち着きながらも、未だ試行錯誤の過程にあると思います。

その歴史は自らの存在理由を純粋に追い求める歴史といっても過言ではありません。

私が考えるフルコンタクト空手の存在理由とは次の4点です。

①技が現実に通じるか否か?

②稽古体系の構築

③人間性の向上、理念、未知の部分

④社会への還元

特に稽山体系の中には、各流派の理念が内包されています。

同じ山を登るにしても様々なルートがあるように、強くなるための方法も千差万別。自らが歩んできた道筋を捨ててまで、別の競技に鞍替えすることに何の意味があるのでしょうか。

――言いたいことはわかりますが、小沢代表が挙げられたフルコンタクト空手の存在理由は、他の空手にも当てはまることでは? 社会に貢献することも、武道に限らず、他のスポーツでもできますよね。差はどこにあるのですか?

フルコンタクト空手は、当てない空手へのアンチテーゼとして始まった歴史があります。

そこに先人たちの情熱が集結し、技術、団体的な発展を遂げ、世界に広がっていきました。

だとすれば、当てない空手種目に参加することは、自らの存在理由を否定することにならないでしょうか?

先ほど稽古体系と言いましたが、競技に関してもルールが違えば、練習方法が違ってくるのは明白です。「せっかく長い時間をかけて培った強くなる練習方法を捨ててまでやる必要はあるのか? 当てる空手をやりたいから、道場の門を叩いたのでは?」と逆に問いたいですね。

――禅道会は20年ほど前、様々な変化を巧みに取り入れ、RF空手というスタイルを確立し、時代の最先端を走っていた過去があります。ノンコンタクトもフルコンタクトを高みへと導く材料となる可能性もあるのでは?

RF空手は既存のものをアップデートしたもので、多様性の範囲内です。フルコンタクトを捨てて、ノンコンタクトへ移行することと比べてもらっては困ります。

また、ノンコンタクト競技を見ていると、間合いや駆け引き等見て、素晴らしいなあと思うことは多々あります。

しかし極論すれば、エアサッカーですよね。ボールのないのに蹴って、ゴールに入ったと審判に判断してもらう。そこに人を倒す技術は少ないと思います。

なぜなら、人を倒す技術には当でなければならない。その矛盾を抱えながら、発展してきた競技だからです。

もちろん、選手層が厚いので、トップ選手のフィジカルが高く、倒す能力を有している人はいるでしょう。

しかし、日頃から当てない練習をしているわけですから、それだけの練習では少なくとも総合格闘技の試合に出たときに絶対に勝つことはできません。

――総合格闘技の方が上という認識なのですか?

例えば、の話です。野球とサッカーの優劣を比べても仕方がないことは誰でも知っているでしょう。

――その言葉を借りるなら、同じように小沢代表がノンコンタクトをどうこういうのはおかしいのでは?

ノンコンタクトに関して、意見しているわけではありません。フルコンタクト空手界がオリンピックに右往左往する現状を垣間見て、憂いているわけです。

なぜ自分たちのやってきたことに自信を持てないのでしょうか?

経済的なことが関係しているのかもしれませんが、しっかりとした考えもなく、オリンピックだから何とかならないだろうか…くらいの気持ちで迎合しようとする団体はオリンピックが終わった後、存在理由をなくし、迷走することでしょう。

――ノンコンタクトの選手が有していない当てる技術とは?

円錐状の人間に対しては、直角に当てる攻撃が効きます。

しかし、円錐状に加えて、半身で構える相手に、ストレートでは直角に当たらない場合があります。

そこでボディアッパー(写真1参照)やフック(写真2参照)が当たり前のように使われ、ローキックもフルコンタクトでは定番となりました。肘打ち(写真3参照)や膝蹴りは実戦でも総合格闘技でも非常に有効です。

実際に起こりえる間合いの中で技を選択し、当てて効かせることがフルコンタクト空手の原点。多様な技術を育む文化を捨てるのはもったいないと思います。

――直角に当ててフォロースルーで倒すという一例を見せてもらえますか?

腎臓打ちはポーンと空振りするイメージでフォロースルーを意識すると効きます(写真4~5参照)。

グンと入れるボディ打ちとは異なります。このように実際に倒す練習をしていない審判に技が「入った」「入らない」を判断してもらうのは難しいと思われます。

フルコンタクトルールでは反則ですが、掴んでからローキック(写真6参照)は直角に当てやすく、UFCでもフルコンタクト出身の選手が使っています。

――フルコンタク卜空手界でもノンコンタクト競技をやりたいという若者もたくさんいますが…。

個人単位でチャレンジしたいという若者、それに応えてあげたいと思う指導者の気持ちはわかります。

私自身としても禅道会の会員がノンコンタクトのノウハウを学び、大会に出場するのは是です。

しかし、禅道会として参加することは存在意義を失う恐れがあるので、否となります。

もしノンコンタクトの要請が来ても、それを受け入れることは団体して絶対にあり得ないと思います。

志を捨てて、稽古体系を捨てて、オリンピックに迎合すれば、禅道会の存在意味がなくなるからです。

――では、オリンピックを目指す団体に関して思うことは?

トップのセンスによっては、いずれノンコンタクトとフルコンタクトが融和する道もあるのかもしれません。

しかしながら、幹の部分は変えてはならない。大山倍達総裁から始まる、当てるという原点をないがしろにして、変容していくことは、礼を失することだと思います。

安易に方向転換することは、先人や相手に対する礼節を失することにもつながり、礼節という骨格を失えば、人の質が低下し、いずれ組織は衰退していきます。

逆にフルコンタクト空手ルールでオリンピックを目指すことは素晴らしいことだと思います。

当てるという歴史とともに積み上げてきた文化、稽古体系、存在理由が残るわけですから。

――オリンピックに迎合しない団体が歩むべき道とは?

ぜひフルコンタクト空手界に自信を持ってもらいたい。我々には誇るべき存在理由がある。それを追求しながら、互いに交流し、切瑳琢磨し、発展していくことがよりよい未来への近道だと思います。

また、目の前の減少に惑わされないよう自分たちが何を伝えたいのかを明確にする。例えば、実戦空手とは何か? 武道教育とは何ぞやという理念を標語の中にこめていく。

人の痛みを知り、他人の痛みを知ろう等、実戦空手の修行者ならば誰でも感じるものをスローガンとして、共通理念を持つことも有効です。

――差こそあれ痛みはノンコンタクトでも感じますよ。

フルコンタクト空手はダメージを与えることが前提でできている。しかし、ノンコンタクトはダメージはルール上ではアクシデントですよね。

社会に出れば、誰でもダメージを受けるものです。私はフルコンタクト空手を通じて、子供たちの人生にもアクシデントは必ず起こる、その前提の中で、いかに克服していくかを疑似体験させています。

またフルコンタクトでは推測の部分が入りにくい。当たったらどうだろうではなく、必ず当たるのですから。

こんなに良い特徴を持っているのに、オリンピックに迎合しようとするのであれば、オリンピックという地位を求めていると言われでも仕方ないと思います。

――納得できない部分も多々ありますが、最後に読者へのメッセージをお願いします。

武道本来の目的とは、自らを感じとり、どう自分が生かされてきたのかを気づかされる道です。

社会的に地位や名誉とは無関係に自らを省みたり、未来を担う子供が伝統性に感謝し、他者を尊重し、自らに希望を持つのが道場という場です。

私は他人や社会と調和し、先人の英知を大切にし、未来に希望を持った青少年を正しく育てるためにも、フルコンタクトは最適だと信じています。

ぜひ読者の皆様にも誇りをもって、フルコンタクト空手に邁進していただければと思います。

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